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<猫と雑記帳>

〜第二章〜ー眠る街ー

 作者:仁奈様

舟から湖の底を覗いてみると、うっすらと街が見える。
通りには、馬車の荷台がそのままに放置され、
荷車も、自転車も、横たわったままだ。
街灯もそのままの状態で、立っている。
中には、扉の開いたままの家まである。
まるで、当時の街の様子が、そのまま、その場所で、
眠っているかのように・・・。
目を閉じると、その街の中に、まだ、眠る前の街の中に、
自分がいるような感覚に陥った。
通りでは、裏で遊んでいる子供たちの声が聞こえる。
馬車につながれている馬の嘶き、自転車の鈴の音、
過ぎ行く人々の声、足音。
どこからともなく風に運ばれてくる夕食の匂い。
家の煙突からは煙が・・・。
まさに、そこでは、人々が居て、そして、生活しているのだ。
私は、というと、不思議なことに、猫の姿はしていなかった。
二本の足で地面に立ち、地面を見てみると、その高さに酔った。
でも、自分には、それが、当然のように思えてきた。
そう、自分が、人間の姿をしていたって、不思議なことじゃない。
私は、うれしくなって、通りを駆け出した。
冷たい風が顔を切っていく。
通り過ぎていく人々は、驚いたような顔をして私を見たり、
笑ったりしていたが、私は最高の気分だった。
久しぶりに走ったものだから、すぐに息が切れてしまう。
休憩するために、立ち止まったそこは、見覚えのある場所だった。
 
「あれ、ここは・・・どこかで・・・」
 
そこは、十字路だ。
前にパン屋が、左手には花屋が見える。
そう、ボクは、知っているんだ。
あそこのパン屋の主人は、ちょっと意地悪だけど、パンを作る腕はすごいんだ。
特に、マホガニーで作ったパンなんて最高なんだよ。
そして、花屋の売り子は、無口な少女。
でも、花を買ったときに見せてくれる笑顔のかわいいことと言ったら・・・。
そう、ボクは、知っている。
右に曲がって、暫く真っ直ぐ歩くと、広場があるんだ。
と、ボクは、再び走り出し、その広場に向かう。
ほらッ、やっぱり。
そこは、街灯の光がスポットライトの役目を果たしているかのように、
そこを照らし、ちょっとした舞台になっているみたいだ。
”そう、ボクは、知っている”
そこは、なんと、あの絵の世界だった。
美鈴が、おばあさんに描いて貰った絵そのものの光景が、
自分の目の前に、広がっていた。
ただ、描かれていたはずの遊んでいる男の子と女の子を除いては。
何故、ここを知っていたのだろう、と疑問に思うよりも、
むしろ、懐かしい、という気持ちのほうが、ずっと強い。
街灯の光が照らしている場所を、ジッと見ている。
そこで、男の子と女の子が、楽しく、仲良く、遊んでいるのを、踊っているのを、想像しながら。
すると、胸が苦しくなり、目から涙が出てきた。
こんな気持ちになるのは、初めてのはずなのに、そうではないような気分だ。
涙が、頬を伝い、唇に触れる。
じんわりと、塩辛さが感じられた。
 
「涙って、しょっぱいんだ。何か、どこかしら不思議な感じ・・・」
 
ボクは、暫く、そこに、ボーっと突っ立っていた。
どれほどの時間が経ったのだろう。
ふと、頭に、冷たい刺激を感じた。雨だ。
それでも、ここを離れる気にはなれなかった。
髪を、服を、肌を、雨は濡らす。
ここの雨の冷たさと言ったら・・・今まで、温かだったボクの胸を、心を、
一瞬にして、醒ましてしまうほどのものだ。
ボクは、うずくまって、この温もりを醒ますまいと、頑張っていた。
すると、一人の少女に声を掛けられた。
ボクと同い年ぐらいの、小さな女の子のようだ。
 
「そこで、何しているの?風邪引いちゃうわ。」
 
「いや、いいんだ。今はこうしておきたいんだ。」
 
「そう、じゃあ、暫く、一緒に、雨宿りしましょうよ。」
 
と少女は、ボクの横にしゃがんで、傘をさしてくれた。
暫くの沈黙の後、先に口を割ったのは、少女のほうだった。
 
「ねぇ、キミの名前は、なんていうの?」
 
その問いかけで、ふと、気づいた。
そうだ。ボクは誰なんだ?名前はなんていうのだっけ?
少女は不思議そうな顔をして、どうしたの?と言っているようだ。
 
「ボクは・・・えっと・・・ボクの名前は・・・」
 
遠くで、誰かが叫んでいる。誰かが呼んでいるようだ。
 
(リン!リン!)
 
その声で私は我に帰った。声の主はご主人様のようだ。
 
「リン!ずぶぬれじゃないの、ほら、一体どうしたのよ?」
 
そこは、舟の部屋の中だった。外は雨が降っているようだ。
私は、ご主人様に抱えられていた。
もちろん、私は、猫の姿をしている。
 
「そんなにずぶぬれになるまで、何を見ていたのよ、おいしそうな魚でもいたの?」
 
と、ご主人様は笑いながら聞いてきた。
ご主人様に今までのことを話そうかとも思ったが、何故かためらわれた。
まぁ、いいや、ちょっとした、夢なんだ、きっと・・・ね。
 
「いや、きっと夢さ・・・」
 
ご主人様は、きょとんとした顔をしていたが、すぐに部屋の窓の外を指差して、
 
「ホラッ、見て!」
 
窓から光の道が見える。
湖に沈んでいる街の街灯が光って、水面に映っているのだ。
まるで、ご主人様と私の目的地を示しているかのように。
今回の旅は、私にとって、ただの仕事なのではなく、非常に親近感のあるもののように思える。
あの光の道を見ていると、忘れていた何かが、蘇って来る、そんな風に思われた。
すると、ふと、涙が出た。
 
「あら、猫も涙が出るときがあるのね。」
 
「さぁ、どうなのでしょう。」
 
これが、涙かどうか、私にはわからなかったが、
それは、やはり、塩辛かった。


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